
UFOを想起させる外観が特徴の宇宙科学博物館 「コスモアイル羽咋」
屋外に展示されている本物のロケット 「レッドストーン・ロケット」
屋外オブジェ
"そうはちぼん"をイメージしているのかも……?
(2025年11月30日 編集部撮影 全3枚)
能登半島の南寄り、羽咋(はくい)市の中心部に位置する「コスモアイル羽咋」は、1996年7月に開館した宇宙科学博物館で、NASAの特別協力のもと、米国および旧ソビエト連邦の宇宙開発に関わる資料を公開している。UFOを想起させる外観が特徴で、その隣にはレッドストーン・ロケットが展示されている。
羽咋市は古くからUFOの目撃情報が多く寄せられることからUFOの町として知られるようになった歴史があり、コスモアイル羽咋はそのUFO伝説を背景に誕生した。
羽咋市がUFOの町と呼ばれるのは、古くから伝わる「そうはちぼん伝説」が深く関わっている。江戸時代の頃、そうはちぼん(シンバル状の仏具)に似た飛行物体が頻繁に目撃されていたと伝えられており、この形状が現代のUFOに似ていることから、当時の人々が見たのはUFOだったのではないかと考えられている。
コスモアイル羽咋の最大の魅力は、「本物に会える」こと。実際に宇宙を飛行した、旧ソビエト連邦のヴォストーク宇宙カプセルや、NASAから100年契約で貸与されている月面車の試作機、先述のレッドストーン・ロケットなど、本物の宇宙機材が数多く並んでおり、世界でも稀有な宇宙ミュージアムとなっている。
さらに、プラネタリウムや900席の大ホール、円形の小ホール、研修室、羽咋市立図書館も併設。学習・文化・交流の拠点として、平時はコンサートや講演、地域イベントの受け皿としての役割も果たしている。
2024年の能登半島地震では展示物に被害が及び、一時休館を余儀なくされたが、建物自体に大きな損傷はなかったため、同年1月24日より再開。今も多くの宇宙ファンを惹きつけてやまない。
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公開日:2025年12月25日
「道の駅 桜峠」
(2025年11月23日 編集部撮影)
「道の駅 桜峠」に面した県道57号の道路脇
(2025年9月15日 編集部撮影)
「道の駅 桜峠」に面した県道57号の道路脇
崩れた土はすっかり撤去され、斜面上部では切土と整形の作業が続けられている
(2025年11月23日 編集部撮影)
桜峠は、能登半島の珠洲道路沿いにある峠で、春には、その名のとおり桜が咲き誇るお花見スポットとしても知られている。古くから交通の要所として利用され、現在は道の駅として地域の拠点となっている。
1996年に開業したこの施設は、敷地内に小さな日本庭園が併設されており、桜が咲き誇る春以外にも訪れる人々の目を楽しませている。また、能登町の特産品を扱う売店やイートインスペースを備えており、能登町産ブルーベリーを使ったソフトクリームや揚げたてのカレーパン、能登牛コロッケなどが味わえるほか、地酒や能登ワイン、いしり(能登地方に伝わる魚醤)など地域ならではの特産品に出会うことができる。
2024年の能登半島地震によって、道の駅前の法面崩壊や施設の損傷により、一時は営業を続けることが困難となっていたが、復興が進んだことで現在は通常通り営業し(施設のトイレは仮設)、再び多くの旅人を迎えている。
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公開日:2025年11月27日
能登赤崎灯台
運が良ければ富山方面に立山連峰を望むこともできる
奥に見えるのは地震の被害を免れた東屋
手前に広がるのは「赤崎」の由来となった赤褐色のゴツゴツとした岩礁
今年産まれたと思われる小さなアメフラシの子ども
震災を乗り越えた海岸で、着実に命が育まれている
赤崎海岸は能登半島の北東部にある海岸の一つで、「赤崎」の由来となった赤褐色のゴツゴツとした岩礁が特徴。これは溶結凝灰岩が内浦の穏やかな波に、長い年月をかけて浸食されたことで形成されたもの。
海岸には昭和41年から、飯田港や松波や鵜飼などの漁港へ出入りする船舶の道しるべとして活躍している能登赤崎灯台があり、徒歩で訪れることができる。灯台からは恋路海岸や見附島を海側から眺めることができ、運が良ければ富山方面に立山連峰を望むこともできる。
令和6年能登半島地震では幸いにも大きな被害を受けず、駐車場やゆっくりと休みながら海を見渡せる東屋も変わらず健在であることから、付近の住民だけではなく、景色を楽しむ人や釣りをする人が訪れるスポットとなっており、編集部が撮影に訪れた際も、澄んだ海と穏やかに過ごすアメフラシに出会い、心落ち着くひとときを過ごすことができた。
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公開日:2025年10月30日
(2025年8月16日 編集部撮影)
能登地方を中心に、石川県の各地に甚大な被害をもたらした令和6年能登半島地震から1年8か月が経過した。多くの人々の想いと協力によって、少しずつ復興が進んでいるが、それに負けじと、自然も再生の兆しを見せている。珠洲市宝立町鵜飼に位置する「見附島」(別名「軍艦島」)もその一つ。
地震動と津波によって島の南東側が大きく崩落してしまい、痛々しく変わり果てた姿は、地元の人々に大きな衝撃を与えたが、更に追い打ちをかけるように、頂上に生い茂っていた樹林からかつての豊かさが失われ、枯れ木が目立つ状態となっていた。
そんな中、2025年9月に、石川県立大学の能登復興支援研究プロジェクトの研究チームによって、地震後初となる現地調査が行われた。見附島の急斜面を登った先で研究チームが目にしたのは、葉を落としていた常緑樹の幹から出る新しい芽や、崩落した岩の隙間から育つ若い木々など、再生の兆しであった。
今後5年〜10年程かけて緑が増える可能性が大きいという評価も得られ、能登のシンボルとして再び草木が生い茂る姿が見られる事が期待されている。
また、2025年8月29日には、一般財団法人ポケモン・ウィズ・ユー財団によるフォトスポットとして「ニンフィア with LOVE」モニュメントが設置され、観光客を迎える新たなシンボルとなっている。復興と自然再生、そして地域の魅力発信が同時に進む中、見附島は再び能登の象徴として輝きを取り戻し始めている。
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公開日:2025年9月11日
ドローン500台によるドローンショー
写真は、能登の祭りに欠かせないキリコ
(2025年8月16日 編集部撮影)
アーティストのキャンドル・ジュンさんによるキャンドルアート
(2025年8月16日 編集部撮影)
ござれ祭り名物・音楽花火大会
(2025年8月16日 編集部撮影)
能登町上町にある、やなぎだ植物公園で開催される"ござれ祭り"は、合併前の旧柳田村の時代に、各地区の祭りで使用しているキリコを持ち寄り、交流を深めるために始まったとされる。祭りの名称である「ござれ」は能登の方言で「いらっしゃい」を意味している。
祭りの会場には、色鮮やかなキリコが圧巻の景色を作り出しており、集結した各地区のキリコを一望できる貴重な機会を楽しむことができる。また、能登の地元グルメが味わえる屋台も多数出店しており、野外ステージでは、迫力ある和太鼓の演奏や、スペシャルライブが催され、能登半島地震の復興応援ユニット「PAL」による復興応援ソングなども歌われた。
祭りの盛り上がりは日が暮れてからも衰えず、闇の中にキリコが幻想的に浮かび上がり、キリコの背後で、音楽とともに盛大な花火が打ち上げられる光と音の供宴は、この祭りならではの特別な体験といえる。今年は、夜のドローンショーも開催され、能登の夜空をより一層美しく彩った。
令和6年1月1日の能登半島地震によって、昨年のござれ祭りは各地区のキリコ集結を見送っての開催となったが、今年は、一部地区のキリコの展示が叶わなかったものの、9基ものキリコが集結し、会場は1日中、活気と熱気に包まれていた。
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公開日:2025年8月21日
柱松明の周りを取り囲むキリコ
(2025年7月4日 能登町在住Yさん撮影)
柱松明の火の粉を浴びながら乱舞するキリコ
(2025年7月4日 能登町在住Yさん撮影)
あばれ祭は、能登町宇出津(うしつ)で毎年7月の第1金曜日と土曜日の2日間に渡って行われる八坂神社の祭礼で、石川県の無形民俗文化財に指定されている。毎年7月〜9月の間に能登半島の各地で開催されるキリコ祭りのトップバッターとして開催され、数あるキリコ祭りの中でも特に荒々しく、豪快な祭りの一つとして知られている。
地元民に愛されるこの祭りでは、男性も女性もキリコを担ぎ、太鼓を叩く姿が見られる。また、子供達も夜遅くまで祭りに参加し、大人に負けじとキリコを担いで町を練り歩く。その人気ぶりは凄まじく、県外で生活している人も、この時期には仕事を休み、祭りに参加するために帰ってくるほど。
かつて江戸時代に疫病が流行した際に京都の祇園社から厄除けとして牛頭天王(現代では須佐之男命と同一視される)を勧請し、盛大な祭礼を催した所、疫病が収束したので、人々はキリコを担いでお礼参りをしたことがあばれ祭の起源と言われている。荒々しく勇ましい祭神の須佐之男命を喜ばせるため、人々は火の粉が舞う柱松明の周りをキリコを担いで練り歩いたり、2基の神輿を海や川、炎の中に投げ込むなど豪快に暴れ回る。その激しさは、祭りのフィナーレとして神輿が社殿に戻る頃には、真っ黒に焼け焦げ、屋根にはいくつも穴が開くほど。
令和6年1月1日の能登半島地震によって、昨年は地区にある5つの町会が参加を見送っていたが、今年は避難していた人が戻ってきたほか、全国から集まった「祭りお助け隊」(ボランティア)の支えもあり、全ての町会が参加。40基全てのキリコが揃い、勇ましく能登のキリコ祭りの先陣を切った。
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公開日:2025年7月10日
やぐらの上では、漁師を模した人形が終日ボラを見張っている
(2025年4月10日 編集部撮影)
地震の影響で、ぼら待ちやぐらの付近は立入禁止となっていた
(2025年4月10日 編集部撮影)
「ぼら待ち市場」パーキングにある看板
地震の影響でパーキング内のトイレは使えず、仮設トイレが設置されていた
(2025年4月10日 編集部撮影)
ボラ待ちやぐらは石川県穴水町に点在する漁業用のやぐらで、その名の通りボラ(魚の一種で卵巣は日本三大珍味であるカラスミの原料となる)を捕獲するための伝統的な漁法に用いられる木組みの構造物。この漁法は江戸時代に始まったと伝えられており、海中に網を仕掛け、やぐらの上で終日ボラの群れが来るまでじっと待ち、群れが網を通過するタイミングで引き上げるというもの。
一見シンプルな漁に思えるが、ボラは音に敏感で警戒心が強く、音や仕掛けに気付くと一気に逃げてしまうため、何時間も静かに海を見張り続け、群れが通過する際には適切なタイミングを見極めて網を引き上げなくてはいけない忍耐の漁法と言える。
最盛期には40基ものボラ待ちやぐらが存在していたが、担い手やボラの減少に伴い、1996年の秋を最後にこの漁法を行う漁師は居なくなってしまった。しかし、地元の漁師や新崎・志ケ浦地区里海里山推進協議会の働きかけで2013年にこの漁が再開された。
令和6年1月1日の能登半島地震によって、周辺の陸地は亀裂や崩落が発生したものの、ボラ待ちやぐらは耐えきり、町の象徴として人々を勇気付けた。
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公開日:2025年6月19日
白米千枚田 度重なる災害にも負けず、田植え作業をする人々
(2025年5月5日 編集部撮影)
白米千枚田
(2025年5月5日 編集部撮影)
2024年5月の今月の1枚で紹介した輪島市の「白米千枚田」。令和6年能登半島地震によって、1,004枚あった田は甚大な被害を受けてしまったが、懸命な復旧作業によって約120枚で米作りを行えるようになり、同年9月に無事収穫された。
ところが、直後に発生した豪雨によって、再び被災。土砂の流入や農業用水への被害によって田に引き込む水の確保が困難になるなど、米作りを行う上で、地震を越える被害を受けてしまった。
一時は「心が折れそう」という悲痛な声も挙がっていたが、元の景観を取り戻すため「白米千枚田愛耕」を中心に再び立ち上がり、復旧作業を再開。クラウドファンディングやボランティアなど、多くの人に支えられながら作業を進め、今年は昨年の倍となる約250枚に田植えを行った。
また、長らく営業停止を余儀なくされていた道の駅千枚田ポケットパークもようやく水道が復旧し、ゴールデンウィークに合わせて試験的に営業を再開。復旧した千枚田を一目見ようと、連日予想を大きく超える観光客が訪れた。この賑わいを受け、本来は4月26日〜5月6日の期間のみの営業とする予定を変更し、今後も週末や祝日の営業を継続することとなった。
道の駅千枚田ポケットパーク
編集部おすすめは、棚田米おにぎり・フグのからあげ・かかし
(2025年5月5日 編集部撮影) 拡大表示
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公開日:2025年5月22日
「能登さくら駅」と「のと鉄道 POKÉMON with YOU トレイン」
(2025年4月10日 編集部撮影)
「能登さくら駅」(能登鹿島駅)の駅舎
(2025年4月10日 編集部撮影)
「能登さくら駅」は、石川県鳳珠郡穴水町に位置するのと鉄道七尾線の無人駅である。正式名称は能登鹿島駅なのだが、桜の名所であることから1988年に「能登さくら駅」という愛称を付けられ、親しまれている。
毎年春になると、プラットフォーム脇に植えられた約100本のソメイヨシノがトンネルのように咲き誇り、絶景となる。また、この時期には駅前に出店が並び、夜にはぼんぼりによるライトアップが行われており、県内外から訪れる多くのお花見客や鉄道ファンで賑わっている。
2007年に発生した能登半島地震の際には、ほとんど開花しなかった過去を持つが、昨年の震災の際は見事な花を咲かせ、傷付いた方々の心を癒した。今年も見頃を迎え、昨年を超える賑わいを見せている。
のと鉄道では、一般財団法人ポケモン・ウィズ・ユー財団によるポケモンのラッピング電車「のと鉄道 POKÉMON with YOU トレイン」(ポケモン列車)が、令和6年8月から運行されている。
この財団は、東日本大震災直後に株式会社ポケモン社員の有志の皆さんの活動から設立され、以来、こどもの災害対策支援活動などを行っている。令和6年能登半島地震でも、多くのこどもたちに笑顔を届ける活動を行っている。
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公開日:2025年4月17日
須須神社 拝殿
(2025年2月3日 編集部撮影)
須須神社 第一鳥居と灯籠跡
本殿を背にして見える灯籠の台座 正面の海から津波被害も受けた
(2025年2月3日 編集部撮影)
須須神社は、日本海側一帯の守護神とされ、能登半島最北端の神社である。
約2,100年前に山伏山(標高172m)に創建され、約1,200年前に現在の地に遷座したと言い伝えられており、祀られている祭神の1柱である美穂須須美命が名前の由来となっている。
国指定の重要文化財である木造男神像や、源義経が奉納したと伝えられている蝉折の笛などが所蔵されており、神域として守られてきた社叢(しゃそう)は国指定の天然記念物となっている。
令和4年から度重なる地震によって大きな被害を受け、再建を進めていたところに令和6年1月1日の能登半島地震が発災し、壊滅的ともいえる被害を受けた。その後、多くの神社寺院からの義援金や支援、また、神社の再建と奥能登地区の地域づくりを目標に掲げたクラウドファンディングの実施等、多くの方の支持を受けて復興への歩みを進めている。
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公開日:2025年3月13日
元「のと鉄道」の珠洲駅前の地にオープンした
「すずなり食堂」と「すずキッチン」
(2025年2月3日 編集部撮影)
能登復興の拠点「道の駅 すずなり」と「すずなり食堂」と「すずキッチン」
(2025年2月3日 編集部撮影)
「すずなり食堂」は、珠洲市にある「道の駅 すずなり」の敷地内に位置する飲食店で、令和6年能登半島地震で被害を受けた珠洲市の飲食店4店舗が2024年9月6日に合同でオープンした。定食からうどんなどの軽食まで幅広く提供しており、中でも能登の新鮮な海の幸がたっぷり使われた海鮮丼の「福幸丼(ふっこうどん)」が人気となっている。
当初は昼だけの営業だったが現在は夜も営業しており、特に昼間は平日でも駐車場が満車になるほど賑わっている。また、隣接する「すずキッチン」では毎朝5時からお弁当を購入することができる。
震災後、飲食店が少なくなった能登の復興を、食から大きく支える重要なスポットとなっている。
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公開日:2025年2月13日
●1.「令和6年能登半島地震から10日」 [2024.01.11公開]
●2.「令和6年能登半島地震から30日」 [2024.02.08公開]
●3.「令和6年能登半島地震から70日」 [2024.03.14公開]
●4.「令和6年能登半島地震から100日」 [2024.04.11公開]
●5.「令和6年能登半島地震から半年」 [2024.07.04公開]
●6.「令和6年能登半島地震から300日」 [2024.10.24公開]
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